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中洲夜景(2009)
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愛すべき博多っこ!川上音二郎!!
川上音二郎は博多に生まれ、世界を駆けめぐった明治の演劇人。幕末の1864年に生まれ、14歳の時に博多港から船に乗って大阪に渡り、歩いて東京まで行き、福沢諭吉の書生などをやりながら、政府に反抗した自由民権運動に参加するようになります。明治20年代になると芝居を始め、出し物の一つとして生まれたのが「オッペケペー節」。自由民権運動にからませた歌詞が人気となり、大評判となりました。歌詞の一部を紹介すると ♪権利、幸福嫌いな人に 自由湯(じゆうとう)をば飲ましたい オッペケペ…唄うときは陣羽織を着てハチマキを締め、日の丸の扇を持って袴(はかま)という格好です。明治24年(1891)、売れっ子芸者だった貞奴と結婚、二人で「川上座」を立ち上げて、彼女は日本初の女優となりました。明治32年(1899)にはなんとアメリカに渡り興行、翌年にはパリ万博に呼ばれて公演し大人気を博しました。また「オッペケペー節」はレコードとなり、これが日本人最初のレコーディングだったとか。帰国してからは、シェイクスピア演劇を上演し、興行師として成功しますが、明治44年(1911)11月11日に舞台で倒れて亡くなりました。毎年お墓がある承天寺で「川上音二郎忌」があり、ゆかりのイベントが行われます。